私の考えでは、考える時間は労働時間に含まれる。同時に通勤時間も労働時間に含まれる。
それを報酬化するためには、自己申告制の労働時間を採用するか、完全な自由時間が存在する出来高制の報酬以外にない。
かつて私は、株式会社ロカボという会社で、労働時間の上限を設けた自己申告制の労働時間を採用した。結果的にその試みは3か月で頓挫したが、その原因は自己申告制の労働時間にあるのではなく、モノが売れないことによる資金不足にあった。ロカボのメンバーは、各々が魅力的な商品を世界中から探し出し私に提案を行ってくれたが、私に、それらを売る力が無かった。モノやコトを売る商売の根幹よりも自己申告制の労働時間を実現することが優先された結果だった。本末転倒だったのである。
私には夢がある。この世界から人による人への管理というものが無くなり、個々人が自発的に調和と生産性の向上を目指す笑顔と信頼の輪で結ばれた社会の実現、という夢だ。
だがここで注意しなければならないことがある。人々が自発的に調和と生産性の向上を目指すとき、労働者にとっての労働との疎外が生じる可能性があることを。あるいは多能工の中に、労働の疎外に繋がる危険因子があることを。それを防ぐ知恵がセル生産方式に見いだせる。しかし、セル生産方式、ワークセル生産方式は、生産管理を強化しなければ実現できない。この生産管理をAIが代行できれば、セル生産方式における労働者の士気向上は一層持続され、自発的な生産性の向上を目指す可能性はある。その時、生産管理を行っていた労働者は労働との疎外に直面するだろう。しかして、その疎外からの脱却は、彼がモノやコトを売る現場に直面することで可能となる。