僕の発端は素朴なものだった。それはおそらく誰でもが感じたことがあるほどの素朴なものだ。素朴な南北問題、素朴な差別問題、素朴な差別、言葉を含めたあらゆる手に取れる形で目の前にある問題だ。彼は資本主義を勉強した。その発端は素朴な南北の格差であり、決して揺るがない安定性を築いた資本の構造の問題だった。けれども今彼の目の前に広がっている研究という名の学問は、高尚な理論と自律性に支えられて奇妙な島国の中で、あるいは社会学者の前方が言うところの島宇宙の中でいっこうに変わらない現実を賢明に説明するにとどまっている。阿呆な批評家や馬鹿な作家があの絶望の貧困と飢餓と抑圧の中からやがて世界に希有の詩人を生み出すという。だがそれがいったいなんだ。この国の端々でこれまた希有な一つの世界がこじ開けられたとしてそれが一体なんだ。若者は島宇宙とかいう概念に説明され、それが肯定的に解釈されたとして、現にこの私の生活を支えている、衣服や食物や住居やこの言葉が、本当に素朴で透明な貝殻のようにぼくを包んでいる世界的な情況と切り放されてなおかつ島宇宙に生存しているか。皆、またいったんは引き寄せて間近に見えるかと思った怪物の姿から神妙に後退して、高い高い塔の上にあがり、町の明かりの明滅を見て感傷に胸を痛めようとしている。ジイはまた塔に昇りそこで生きる。詩を紡ぐ。それを嫌うものたちは直感に過去の意匠の理論をまとって、別の塔の上で決して自分の歩調を乱すことない闘争を演じる。それをまた、一つの生でないと言えないし、どのような言葉によっても批判し得ない。しかし、情況は滝の水のように落下していき、僕の歩調は乱れざるをえない。僕は簡単にやっつけられる。主体や、自由意志を攻撃できるように、理想や世界革命を攻撃できるように。けれどもあの高い塔の上にいる人たちは、まさにその塔を支えている大地に起こっている個々の生を嘗めている。
人はなぜ、希有な文学の誕生を期待するのか、人はなぜ文学を恐れるのか。なぜ人は希有な政治の誕生を期待するのか、なぜ政治を恐れるのか。
僕はグローバリズムや理想について一切語らないが、僕につながる世界についてその問題の端々に浮き上がる素朴な問題を解決していくことは出来る。