なぜ生きるのか?

この問いへの応えは至極簡単なものである。

人は生きているのではない。単に生かされているのである。

これは、人に限らずすべての生命に当てはまる。完全平等原則である。

例えば人間の場合、10代先祖の数を遡って数えてみると良い。子供のない親は沢山いるが、親のない子供は論理的に不可能である。10代先祖を遡るとき、それは2の10乗という数字になる。さらにその数字に育ての親を含めるなら、その数はさらに大きな数字となる。そして、この命は、そのうちの一人が欠けていても、あなたは今ここにいない。その一人一人にそれぞれの人生と命があった。このことを思うとき、私はいつも泣きそうになる。いただきますと言ってごはんを食さざるを得ない。そして、うまかった、ごちそうさまでしたと言わざるを得ない。

だから、私は活き活きとした時間の中に出来るだけ長く生きなければならない。生活とは本来、そういうものである。われわれには、死んだように生きる余裕時間はないのである。もしあなたが今、困難の中にあり、死んだように生きることを強いられているのなら、あなたは活きるために闘わなければなりません。逃走は闘争の一部です。